
令和元年。明けましておめでとうございます ^^
(写真:20190501撮影)
元号が変わって初めての記事は、2019年春現在 工事が進んでおります、乙庭新社屋への店舗移転プロジェクト関連にしました。私の実家をフルリノベーションしての建築再生計画です。
令和初日、縁起よく朝日を受けて黄金色が溢れ出す、3階寝室の写真ではじめてみました。^^
なんといっても、今回の社屋移転は、乙庭的には平成〜令和にかけての最も大きな変化のひとつですし、起業時から慣れ親しんだ群馬県高崎市の乙庭SHOPから別の場所に移るのも、私としては大きな決断でしたので、やはり時代の節目の足跡として記録しておきたいな、と思いました。
私のインスタアカウントでも、進行状況や内部の様子など、表層的なことをちょいちょいアップしてますが、どうしてこういう建築になったのかという思考過程などはまだほとんど表に出しておりません。
これからは、本ブログや園芸情報サイト「gardenstory」で私が担当させていただいている連載記事「ACID NATURE 乙庭Style」などで、建築作品としては「覆(おおい)」と名付けられた、乙庭新社屋のヴェールの内側・深層領域を少しづつ明かしていきたいと思います。
少し前の記事になるのですが、私のweb連載記事「ACID NATURE 乙庭Style」にて、乙庭新社屋プロジェクトのあらましを書いていますので、ぜひそちらからお読みいただけると、今後の展開が分かりやすいと思います。
「幻のような建築へ。乙庭新社屋「覆(おおい)」設計・制作ドキュメント その1 序章」
併せて「覆」プロジェクト模型などが展示されている、GAギャラリーでの展示や掲載誌もぜひ併せてご覧いただけたら幸いです↓ ^^
【建築展、雑誌掲載】乙庭新社屋プロジェクトが「GA HOUSES PROJECT2019」に選出されました
上記記事の掲載から1ヶ月半ほど過ぎました。2019年4月末現在、屋内の工務店工事は概ね完了し、本件の建築的意義として最も重要な部分である屋内の塗装工事を、私と副代表の松島、および乙庭スタッフ一同で、店舗業務と並行して自主施工で進めています。
屋内の塗装と並行して、やっとこさ屋外の塗装と外構のデザインが概ねまとまり、近々の屋外の建築工事に向け準備段階です。まだ先はちょっと長いですね ^^;
今は、屋内の塗装が以前より進みましたので、直近の内観をいくつかご紹介します。超・平たくいうと、屋内をいったん全て銀色に塗って、床など「上向きの面」だけに移ろうような彩色を施しています(↓のような色合いを手塗りで描いています。印象派かっ!って感じですね ^^;)。
この床塗装は、巨大な絵画みたいな手仕事なので、まぁ、なんというか、これも住宅建築としては異彩ポイントなんですが、真に重要なのは、床の色そのものではなくて、彩色された面に光が当たって乱反射された色が壁や天井に映し出す「幻(まぼろし)」の方なんですね。
建築は、その宿命としてとても実存的というか、実体なくして存在し得ないものです。そして、たとえば住宅のような用途であれば「住む」という本来的な目的として長く変化しにくい性質を求められます。
が、本件では、実体なく刻々と映し出される虚像という不確かな存在、しかも生活には必要以上かもしれないものを建築的な主題にしています。
光の状態によって内部空間の状況が絶えず変化し続けるので、その状態を建築図面として表現し難しい建築です。表現メディアとして建築図という手法が最適とはいえない建築ともいえるかな。
むしろ、視覚的にとても可変流動的な空間なので、「建築を設計した」というよりは「舞台を設定した」という感じの方がしっくりくるように思います。私が植物を配役するように植栽を設計するときとほぼ同じ発想ですね ^^;
ちょっと長くなってきたので、ちょっとこの辺で一息。今日のBGM。^^
今、趣味のピアノで練習中のプロコフィエフ 「束の間の幻影」です。私的には、床の塗装お絵描きについてはドビュッシーの音楽のイメージなのですが、現れる幻影についてはこの曲集がBGMにぴったりと思います ^^
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲全集 つかの間の幻影
ミシェル・ベロフ(ピアノ)
プロコフィエフ つかの間の幻影 解説付 (zen-on piano library)
寺西基之、寺西昭子(解説)
乙庭新社屋の屋内空間は、人間にはコントロールしきれない、季節・時間帯や天気、全面道路をどんな色の車が往来するか、家具の配置や人が着ている服の色など、複雑に絡み合う事象の総体が抽象的な色や動きに変換されて建物の壁や天井に「映し出され」ます。
もはや「どんな現象が起こるか予測不能な空間」なんですが、これって、いまこの瞬間以降にやってくる時間つまり「未来」とまるっきりいっしょなんですよね。「何が起こるか分からないけど、絶えず変化はやってくる」そして「自分の意思やチカラで、ある程度変えることもできる」ということです。
一方、建築は「何が起こるか分からない」不安に抗うための安全保障の装置という側面もありますよね。だから多くの家は、建って以降はなるべく「何も起こらない」ように作られます。家は一生の中でも高価な買い物ですし、長く付き合っていくものですからそれも至極当然です。
実際、改装前のこの家は、構造もしっかりして、温熱環境も整い、プライバシーも守られていて、安全性という意味ではとてもハイスペックでした。
しかし、私が以前この実家に住んでいたときの生活はというと、判で押したように変化のない日々でした。永遠に続く「現在」というか。
安全ではあるけれど、幸福とはちょっと違いますよね。思い返してみても、以前この家で過ごしていた日々を色に例えるなら「灰色」。白でも黒でもない、ぼんやりとした無彩色の時間だったように思います。普通に楽しくないですよね(ここが重要 ^^;)。
なので、私にとっては「変化がない」というのはむしろ不安要因で、「どうなるか分からないけど変化はある」「光と色のある未来」の方が、感覚的といってしまえばそれまでですが、理屈じゃなく「こっちの方が好ましい」という面で正解なのです。
それは私だけの独りよがりだとも思っていなくて、感覚刺激として不確定な変化を発生する建築によって、人生が多少なりとも「豊かに」あるいは「楽しく」「刺激的に」感じられる方も実は多いのではないか、と思い、自邸でもある乙庭新社屋でこの試みを実行することにした次第です。
流れる川の水のように捉えどころがない、「建築の流動性」と「感覚的で定まらない存在の不確かさ」。建築が宿命的に持っている「理性的で合理的な、物質としての存在の確かさ」への問題提起です。
論理性とか合理性とか必要性とか使い勝手とかを追求していけば、建築は確かな正解にいきついていきますが、そこは多少の差はあっても誰もがたどり着く同じ正解なんですよね。皆がせめぎ合うレッドオーシャンです。
でも、日常生活で私たちの気持ちを豊かにしてくれるものってなんだろうと考えると、それって「美しいもの」「感性に訴えかけるもの」「自分らしさを表現してくれるもの」だったりしませんか?
私も大学時代は著名な建築家の先生のゼミでとても論理的に建築について考え続けてきましたが、私がたどり着いた想いがふたつあります。
「理詰めの正解は、正解だけどどこか冷たい」、「人は欲望の生き物。美しい・楽しい・面白いと思う直観は、感覚的だけど幸福を与えてくれるという意味では正解」ということです。
今の私の立ち位置としては、ガチで建築家なわけではないので、少し外野の視点から、あえて「建築家がやらないような感覚主導の提案」をしてみました。
感覚的な美しさ・楽しさは、なくても生きていける「必要以上のもの」のように感じられるけれど、実はミネラルやビタミンのように、ヒトは、それがなくては健全に生き続けてはいけないものだとも思うからです。
そんなこんなで、これから建築の外構工事を行い、高崎の乙庭店頭植栽をまるごと新社屋に持ってきてひとまずの引っ越し完了となります。そこから、今度は、それらの植物に新メンバーもたくさん加えて、新しい乙庭の店頭植栽を再構成していきます。
あれ、考えるほどにまだ、先が長いですね ^^;
引き続き、乙庭新社屋プロジェクトの進捗やドキュメントなど、逐次書いていきますね。^^
ともあれ、平成を園芸家としての私の時代俯瞰でしめくくり、新しい時代、令和を私の初の建築的実作で幕を開けられ、いろんなタイミングがよかったと思います。^^
「万物は流転する」「同じ川に入ることはできない」
(ヘラクレイトス 哲学者 BC540頃〜BC480頃)
【今日の一冊 ♪】
世界のエリートが学んでいる教養としての哲学 (PHP文庫)小川仁志
私、ACID NATURE 乙庭 太田敦雄の著作本、
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